ティム・オブライエン「世界のすべての七月」(文藝春秋)

世界のすべての七月

ひさしぶりにドッシリした本を読んだよ。
ただし、独立した作品としても読める短編と、それらをリンクさせる別の時間の話が交互に出てくる、という、オブライエン独特の手法によって、いわゆる長編、というのとはまた違う印象だね。


いろいろ連想したものはあるんだけど、タイトルから、「八月の光(Light in August)」とかね。
この作品でも、同窓会が7月に行われているんだけど、題名のわりに直接的に「七月」というのは出てこない。
でも夏の陽射しってのは、なんとも言えない魔法のようなもので、ちょっと残酷な感じもありつつね。
なんとなく、上からの視点、というのがイメージに近い。最後のほうの、1行ずつのカットアップとかが顕著なんだけど、やっぱり視点は上から、人間の多様な生態を眺めているような。


30年ぶりに同窓会で会った現在50代の登場人物たち(1969年度卒業生)、いわゆるアメリカの団塊の世代である彼らは、
当時〜その後30年〜現在、という時間の中で、それぞれの時代の典型的な“アメリカの病”を経験しているんですね。
まぁこの世代は数が多いし、彼らの悩み=アメリカの悩みとなるわけですが。


ベトナム戦争があり、政治活動があった学生時代を経て、やがて多くのものは、ある時点でごく普通に結婚して子供をつくり、幸せな生活を求めます。
そして、それなりの生活を手にしたにもかかわらず、お決まりの不倫や、家庭内のトラブルがあり、豊かさへの罪悪感があり、精神科に通い、多くの確率で離婚を経験する、ということです。
いろいろ理由はそれぞれあるんでしょうが、一言では言えない。普通にやっていたのに、どこかに間違ったポイントがあった。
けっこう暗い話ですよね。少なくともハッピーではない。
こういったところをここ20年くらいのアメリカ小説は書いてきた、と。


そして、そういうヘビーな30〜40代を過ごし、いまや「その後の状況」にも慣れつつあり、
彼らが50代の半ば、やがて来る老後という曲がり角の手前に差し掛かったところで、この小説は始まる。
ま、そこは新しい視点よね。“老人の性”みたいなのは近年の流行だけど、それともちょっと違うし。
そして同窓会のパーティの3日間を舞台に、彼らは今も悩み、傷つき合いつづけ、醜態をさらす、というなんとも眼を覆いたくなるような展開が繰り広げられる。
並行して、彼らの人生が、どの時点を境にして損なわれたか、あるいは、どの要因が巡り巡って、今の状況を招いたのか、主にそういう視点から各人の過去が、独立した短編の形で語られる。
この中で、天の声つうか、あとがきに従えば“マジック・リアリズム”というんですか?そういうのが出てくるんですね。そこが非常にオブライエンはうまい。文章の境目からにゅっと顔を出すような感じが。


で、まぁ男女七人夏物語というか、ビバリーヒルズ青春白書みたいな感じで、かつての同級生の人間関係は、それなりに絡まったり絡まなかったりして、同窓会は終わり、解散のところで、それぞれを見下ろす映画的な優しい視線、という、うーん、評価はわかれるところですが、そういう一応のラスト。
どうだろうかね?
日本の団塊の世代は、ここまで表立った何かしらの行動というのは今後も無い気がしますが、それでもやっぱり、やがて日本もこういう状況に近づくのかしら?